ぽろりの北国街道一人旅

さて、少し前になってしまいましたが、
久しぶりの一人旅レポートです。
今回の行き先は、渋いっすよ。
福井と滋賀です。

さる9月22日~24日の3日間、
北国街道に沿って南下してきました。
まあ、ほんとに一部しか回れなかったんだけれども。

9月21日夜の新宿駅発夜行バス利用にて22日の早朝に福井入り。
この福井行きのバス、無いんですよ。
あんまり行く人もいないからなのか、
隣の石川の金沢行きはたくさんあるんですけどね。

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で、福井駅はこんな感じです。



ますは福井といえば北の庄ですかね。
織田家随一の猛将とうたわれた柴田勝家が
北陸方面の軍団長をしていた時の本拠地です。
もともとは信長の弟方だった勝家は、
他の服従武将と同じように前線での仕事を与えられることが多く、
結果を出したので重臣として重用されたようですね。
たいがいの服従武将はさんざんこき使った挙句
追放の憂き目にあわせるのが信長のやり方ですが、
かれはきちんと結果を残したが為に軍団長にまでのぼったのですね。
しかし、残念なことに最終的には賤ヶ岳の戦いに敗れ
そのまま落城、自刃します。

しかし、この北の庄跡はなんか味気ないというか・・・
建物に囲まれてしまっているあたり夢が無い。
でも、当時の遺構もしっかり残ってはいますけど。

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e0082441_23522373.jpg勝家の銅像です。
これほどの武将がこの扱い。
なんかなぁ。


さて、期待してた分ちょっとがっかりな北の庄ですが、
盛時には巨大な天守を備えた城だったとか。
その面影もありませんが、想像の中に夢を抱くのが史跡めぐりの醍醐味ですからね。

e0082441_23525621.jpgここで、ちょっと小腹減ったので蕎麦をいただきました。
うーむ、蕎麦ってのはどこで食ってもうまいものだ。


さてさて、お次は福井城跡。
なんとここはいまや県庁が占めてしまっています。
広さから言ってかなり巨大な城だったと思いますよ。

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かなり立派なお堀ですね。



e0082441_23535941.jpgこの城の初代城主は結城秀康。
家康の次男です。


家康の次男ながら冷遇され続けた秀康。
関ヶ原の戦い後にその功績を評価され加増第一位になりましたが、
江戸から遠く離れたこの北国で何を思っていたのでしょうか。

e0082441_23544285.jpge0082441_23545360.jpg福井城天守跡です。
綺麗な芝生の公園になっています。
平日は県庁勤務のおねえさんが
ランチでもしているのでしょうか。



さて、日もやっとしっかり登ってきて暖かくなったので、
いよいよ移動です。
次はこの旅の一番の目的地、一乗谷です。

一乗谷。
ここは越前朝倉氏の本拠です。
以前も話しましたが、越前は戦乱の世の中において
「静かにて治まる国」といわれたところです。
その首都一乗谷は最盛期には京以上に京文化が発達し、
将軍さえも迎え入れたことのある場所です。

e0082441_23554565.jpg福井駅から一乗谷方面に出る電車。
きゃー、本数少ねえ!


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いやー、きたよ。
きちゃいましたよ、一乗谷。


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見渡す風景は
どこまでもどこまでも
のどかなのです。


e0082441_23581044.jpgまずは駅前にある朝倉資料館へ。



ここでは一乗谷から発掘されたものの展示が行われています。
興味深かったのはやはり生活様式の解説。
歴史上、貴族の生活は後世に伝えられていきますが、
なかなか庶民の生活はなかなか知ることができません。
そういった意味で、武士の食事の様子、娯楽、
その他様々な生活様式を解説しています。
はっきり言って勉強になりますよ。

余談ですがここでイマドキのカップルを見かけました。
その話を盗み聞きしてたんですが、
いやー奥が深い。
脱帽でした。
オレももっと勉強します!

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朝倉義景です。
撮影禁止と知ったのはこの直後です。


いよいよ谷に向かいます。
のどかな田園風景。
かなり暑い(35度だったそうです)。
爽やかに吹き抜ける風。
ああ、本当に気持ちいい。

一乗谷の全体図はこんな感じです。
まさに谷です。
入り口は狭く山に挟まれているので防御に適しているのでしょう。

まずは入り口。
下城戸です。
京都に近い方が上、遠い方が下なのでこういった名前がつきます。
普通観光客は北側から来るので下城戸から入ることになります。

もちろん入り口なので、ここが一番の防御の拠点になるわけです。
巨大な土塁で谷の入り口をふさぎ、ごく一部を切り通し状にしています。

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かなり細い入り口になってますね。
厳重な警備がひかれていたことが、
容易にわかります。


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かなり大きな岩が使用されています。
贅沢ですね。


続いて一乗川沿いに歩いていくと、朝倉景鏡の屋敷跡に来ます。
この朝倉景鏡、非常に重要な人物です。
当主義景の従兄弟です。
一門衆の中でも最も権勢をふるっていたといわれています。
朝倉が織田に攻められ滅亡直前、
義景に一乗谷から大野(今の越前大野)に落ちることを進めたのですが、
義景を裏切り自害させてしまってます。

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屋敷跡です。
ど真ん中に道が走っているのですが、
それでもかなり広いです。


朝倉家初代当主孝景の教えで、
当主以外の館には堀を作ることを禁じられていましたが、
景鏡は義景の館以外で唯一堀を備えた屋敷でした。
それだけの重臣であったのです。

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左が土塁、右が堀跡。


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本当にのどかです。


この一乗谷の史跡、特筆すべき史跡なのです。
谷全体、実は朝倉氏滅亡後数百年の間、
ずっと土に埋めれていたままでした。
発掘が進んだのは近年に入ってからです。
そのため、保存状態が非常によいのです。
ここまで保存状態がいい史跡は珍しいのではないでしょうか。
地元の人たちの熱意と協力というものもあって、
ここまで素晴らしい遺跡になっています。
本当に関係者の方に感謝です。

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町並み跡。
区分けはもちろん竈の位置、井戸の位置、洗い場の位置など、
各家ごとに残っています。


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こちらはお墓跡。
同じように区分けがはっきりしています。


そのまま進んで行くと義景館跡にたどり着きます。
ここは一乗谷の遺跡の中で最も広い場所です。
もともとは義景の館、その後義景を弔う寺が建てられ、今は門だけ残っています。
この門は桜が背後に立っているのですが、
その写真が有名なので見たことがあるかもしれませんね。

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この義景館跡ですが、やはり当主の館だけあって、非常に趣き深いのです。
館の背後には山があうのですが、
底には庭園が続き、母や側室の屋敷があります。
その庭園の規模・趣向の濃い作り、高い文化レベルを感じます。

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左側の庭園には、
実際に水が流れています。


はいここで休憩。
なんていってもこの日暑いのよ。
おかげで日には焼けましたが、もう脱水状態。
何本飲み物買ったか。
でも、涼しいと味気ないから暑くて本当に良かったと思います。

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おだんごいただきました。



ここからまっすぐ行くと上城戸にあたります。
下城戸から上城戸までが町の中にあたります。
が、実際には上城戸の外側にも遺跡は続いていきます。

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上城戸。
これも保存状態がいいですね。


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御所・安養寺跡です。


ここは、将軍足利義昭を一乗谷に迎えた時に、
住居として使用したところです。
将軍を迎えるにあたって「門外」とは。
実際はこの奥にも街が続いていたのでしょう。

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一乗谷の遺跡には細かいところにも
こうやって案内石があるので
非常に親切です。


ちなみに一乗谷では武家屋敷・町屋敷が復元されています。
これも、実際に発掘が進んでいるところに作成されているので、
非常にわかりやすいです。
いやあ、本当に素晴らしい遺跡です。

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がーっと突っ走ってきましたが、一乗谷にいる時間も限られてきたので、
なくなく後にします。
本当は義景館裏の城山にのぼって、
一乗谷城跡も拝みたかったのですが、
なんてったって毎度の事ながらの強行スケジュール。
分刻みなのです。

のわりにはですね、オレにしては珍しくタッチの差でバスに間に合わず、
一乗谷から福井市街までタクシーを使うという暴挙に出なくてはならなくなりました。
まあ、おかげで福井から特急に乗らなくて済んだので相殺ってところですかね。

さてタクシー降りた2分後には電車に飛び乗った(ギリで)ぽろりの向かう先は、
敦賀です。
おおー、敦賀。
昔、桃鉄やった時この地名がしらなくて。
高校野球で敦賀気比高校が出るようになって読めるようになったのですよ。

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いやあ、本物です。
ここまで来ちゃうとは。


敦賀は朝倉氏の出城、金ヶ崎城がありました。
ここは要所の守りとして朝倉氏の拠点の中でも重要な位置を占めていました。
信長が朝倉攻めの時の浅井長政裏切りの際、
お市の方から両端を結んだ小豆袋を受け取り、
長政謀反を知り単騎京都に駆け戻ったという逸話の誕生したところです。

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信長最大の難関を乗り越えたということで、
今では受験の神様になっているようです。


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が、なぜか恋の神様にもなっています。
そのゆえんは・・・


むしろこの城は南北朝時代の
新田側の玉砕の地としての方が有名ですね。
あまり詳しくは知らないのが残念です。

さてこの金ヶ崎城、名跡なのに取り巻く環境は
かなり厳しいと言っても過言ではないでしょう。
月見台というかつて天守があったと想像される高台が一番の見ものなのですが・・・

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これが月見台からの風景。
うーむいい景色・・・


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では全く無いです。
これは厳しい。


さて、福井県の名物といえばなぜかカツ丼なんです。
これは知りませんでした。
しかも見慣れた卵とじのものではなく
ソースひたひたになってるソースカツ丼なんです。

敦賀より先は福井を脱してしまうので
ここで食べなければもう食べる機会が無い!
ってことで駅前でいただきましたよ。

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おほほーう。
これ、すっごいうまいよ。
素朴でいい感じでした。


ここからは北陸本線を南下し一路米原方面へ。
宿は長浜にあり、です。
この度の宿は2泊とも三谷旅館さんです。

東京から予約の電話をしたとき
「1泊目は学生さん9人様がいるんですけどね、うふふー」
と少し困ったようにおかみさんが笑ったのを聞いて、
「あ、ここにしよう」と思いました。
それくら感じが良かったのですよ。
実際泊まっても非常に家庭的でいい人達でした。
学生もうるさくなかったし。
一応耳栓は用意したけどつかうこともなかったでした。

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こんな町家風のいい旅館です。
しかも素泊まり4000円


今日はかなり歩いたので足が棒ですが、
三谷旅館さんで近くの飲み屋さんの割引券をくれたので、
折角なのでちょっと一杯引っかけに行きました。

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名前忘れてしまいました。
なんて読むんだっけなあ


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小鮎のてんぷらです。
ビンビール一本で酔い酔いです。


さて、酔ったところで気分良く長浜散策しました。
長浜には「黒壁」と呼ばれる一角があります。
昔の宿場町の町並みを保存しているようなところです。

e0082441_0162028.jpge0082441_0163248.jpg左:長浜の街並み
右:町のシンボル大通寺、三谷旅館のすぐ裏でした


これで1日目は本当に終わり。
旅館に戻って2分で寝ました。
いやー、滝川クリステルー,zzz・・・
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by porori001 | 2007-10-17 00:17 | ぽろりの北国街道一人旅


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