2007/2/12  フラワーなアイツ

オレは職場から家に帰る時に渋谷で乗り換える。

山手線の乗る場所にもよるが、
たまに乗換えで歩いている途中に花屋の前を通ることがある。
気分によっては狙って花屋によってみたりもする。
季節ごとに様々な表情があって楽しいと思う。

先日も通りかかった。
すると、その花屋の一角が薄い桃色の花に埋め尽くされていた。
なんていうかイメージではそこに物凄い大きな花束が飾ってあるような感じだ。
オレは花に詳しくないのでその時は何の花なのかわからなかった。
友人によるとスイートピーだったらしい。

普段じっくりと花なんて見ることがないのだが、
今日もたまたま前を通りかかったのでじっくり見てみた。
その花屋は有名な花屋なので人も多かったが、
それだけに飾り方も非常に綺麗だったと思う。

いつの時代も花は多くの人に愛されるものだ。
不思議なことに気付くとオレは花屋の中で
その理由を一生懸命に考えていた。

この花はこんなところがかわいい。
この色は素晴らしく美しい。
そんなこと考えていたが、途中であることに気付いて考えることをやめた。

花は確かに綺麗だし美しい。
しかし、使い古された言葉だが必ず散り行くものだ。
その儚さが美学であることは事実だが、
そういうところが理由ではないとオレは思う。

常に人の心を掴んで離さない、花の魅力。
それは、人の心にはない「純粋さ」なのではないかと思う。
確かにその外見は人間が作り出したものであるものがほとんどだ。
それをその花が望んでいたかどうかはわからない。
しかし、ひとたび生を受けこの世に誕生した後、
何よりも美しくなることを目指し、
そして人間の期待を裏切らないほどの魅力を兼ね備えるためだけに生きていく。
その過程にはきっと他の想いは何もないのではないだろうか。

たとえ人間の邪念によって生まれたものであったとしても、
花は必ず美しい。
自分の美しさのみが全ての価値を作り出すことを知っていて、
そのことに関してはひとかけらの疑いも持っていない。
これがまさに花の持つ「純粋さ」ではないだろうかと思った。

人はどんなに誠実に生きようとしても、
必ず何かしら負い目を背負ってしまう。
だからこそ、人は花の持つ純粋さに魅かれ愛していくのだと思う。

人に花を贈ることが嬉しいのは自分の気持ちを花の持つ純粋さに乗せることができるから、
人から花をもらって嬉しいのは花の純粋さをまとうことができるから。
それは、裏を返せば人間の錯覚でしかないのだが。

そんなことをなぜか考えてしまった。
オレはしばらく花を人に贈ったことはないし、
今後もしばらくは贈ることも無いだろう。
もし、いつか誰かに花を贈ることがあったなら、
オレは同じことを考えるだろうか。

花を贈ると言うことは特別な行為だからこそ、
今日考えたことは忘れないでいたい、と思う。
[PR]
by porori001 | 2007-02-13 23:38


<< 2007/2/13  パンツなアイツ 2007/2/11  メタボリ... >>