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2006/8/30 一乗谷

なかなか難しいね。

今度の3連休にはちょいと遠くへ行きたいなと思っとります。
そろそろぽろりの○○紀を書かなければいけない感じだからね。
どんな城跡に行こうか考えてるんだがやっぱりあそこしかないかな。

今俺の心を掴んで離さないのは一乗谷です。
小京都と呼ばれるところは日本中にいくつもありますが、
京がすさんでいた室町後期~戦国時代において、
地理的に京に近いこともあり京以上に
最も京都っぽかったと言われる町です。

時は戦乱の時代、下克上の世、親と子が殺しあっていた時代に
「静かにて治まる国」と栄華を誇っていた越前は朝倉家の本拠地です。
朝倉家の最後自体は非常にあっけなく情けないものでしたが、
それでも浅井家が長政の時代まで持ったのもひとえに朝倉家の力のおかげなのです。

義景があとホンの少しでいいからまともな人間であったら、
時代は変わっていたかもしれません。
朝倉家が天下を治めるわけはありませんが、
織田家の快進撃はなかった可能性はあります。

姉川の戦いに義景自ら来ていれば。
信長包囲網から一人勝手に抜けて自国に兵を引き返さなければ。
宇佐山城を落とし京まで後一歩に迫った浅井・朝倉連合軍だったのに、
形ばかりの将軍であった足利義昭の権威の下にむざむざ和解させられていなければ。

浅井家の歴史は朝倉家の力によって作られ、
朝倉家の弱体化とともに崩れていきました。
長政は信長を後一歩のところまで追い詰めながら、
ことごとく朝倉家の不甲斐なさによりチャンスを逃してしまいました。
チャンスを生かせなかったものの行く末は歴史が証明しています。
まあ、朝倉家あっての浅井家だったわけですからしょうがないことです。

義理の兄より古い義理を重んじたがために、
長政の人生が転落していくとは。
その義理立てした相手が義景だったとは。
小谷城落城前夜、小谷山から眼下をのぞけば、
琵琶湖沿岸一帯は信長軍のともす松明で埋め尽くされていたといいます。
その灯を見ながら長政は何を思ったのでしょうか。

しかし、義景以外の当主は立派であったと言う話が多いです。
残念ながら私は詳しくないのですが・・・
ただあれだけ豊かで地理的にも京都にも近い国が、
長い間戦乱にさらされてこなかったのは、
朝倉家の力であったことは確かです。

朝倉家5代150年の勃興の歴史を見届けてきた静かなる国越前。
その栄華に思いをはせる今日この頃です。
by porori001 | 2006-09-01 00:14


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